屋形船に乗る前に裏浅草を歩く(3)吉原遊女が信仰した神社

下町の風景

吉原神社東京・浅草で屋形船に乗る前に「裏浅草」と呼ばれた吉原へ。1回目は泪橋から山谷、日本堤2回目は吉原大門の跡・おはぐろどぶの痕跡を訪ねました。

3回目は吉原に売られた遊女たちの苦難の運命を思いながら、吉原神社、鷲(おおとり)神社、飛不動尊を歩きます。

浅草七福神のひとつ「吉原神社」

吉原遊郭は四角形をしていると2回目の時にご紹介しました。

約2万坪といわれる広さの遊郭、その周りを囲むようにおはぐろどぶといわれる水路が取り囲み、入り口はS字カーブを描く五十間道からのみで、そこに吉原大門がありました。

女性の出入りは四郎兵衛番所で、厳しく監視され、遊女たちが逃げ出さないように見張っていたといいます。

その遊郭の4隅には5つの稲荷神社(玄徳稲荷社・榎本稲荷社・明石稲荷社・開運稲荷社・九郎助稲荷社)がありました。またすぐ近くにあった吉原弁財天を加え、合祀したのが「吉原神社」です。

吉原神社は女性の願いをかなえてくれる

大門から遊郭の真ん中を貫く仲之町通りを歩くと、右手にあるのが「吉原神社」。

浅草七福神のひとつで、御祭神は倉稲魂命(うがのみたまのみこと)です。家内安全や商売繁盛の神様ですが、遊女の信仰を集めたことから現在では「女性の願いをかなえてくれる」パワースポットとして人気があります。

郭の三雅木(さんがぼく)のひとつ、逢初桜(あいぞめざくら)

吉原神社の逢初桜

「逢初桜」とは、恋焦がれている人に初めて会うという意味があるそうです。

200年前に吉原神社の御神木として崇拝を集めていたのですが、1911年の火事で焼失。2013年に枝垂れ桜が植樹され、春になると美しい花を咲かせているそうです。

拝殿横には、年代を追って吉原の様子を紹介した「吉原今昔図」もありますので、この場所の変遷がわかります。

吉原今昔図

ちなみに三雅木(さんがぼく)とは、こちらにある逢初桜と、新吉原入り口にある見返り柳、玄徳稲荷社脇にあった駒止松のことをいうそうです。

吉原神社から遊郭を出る道もやっぱりS字カーブを描く

吉原神社のすぐ隣には区立台東病院があります。こちらはもともとは都立だったそうですが、現在は台東区立に。

出口もやはりS字カーブを描く

そして、吉原の裏に当たる水道尻(仲之町通りからおはぐろどぶに突き当たった場所)を出たとこもやっぱりS字カーブを描いています。ということは、こちらからの遊郭への出入りもあったという名残ですね。

今回の街歩きを案内してくれたTABICA「知れば知るほど奥深い 吉原の今昔散策」のホスト、佐藤さんによると、「台東病院」はもともと吉原遊郭内の性病専門病院として遊女たちの治療に当たっていたといいます。

水道尻からは本来、遊郭への出入はできませんでしたが、火事などの緊急時に開かれることはあったそうです。

もう一つの例外は、11月の酉の市があるとき。この水道尻から外に出て、浅草の神社(おおとりじんじゃ)へ遊女たちもお参りしていました。単調な毎日を過ごす遊女にとって、気持ちが華やぐイベントだったそうです。

浅草鷲神社

また酉の市の日は、商売繁盛を願う客が吉原に大きな熊手を抱えて押し掛けたという話があり、その時だけは特別にこの裏門を開けて客を通したそうです。

ちなみに神社は、通称「おとりさま」と呼ばれ、酉の市発祥の地だそうですよ。

火事でなくなった遊女たちを慰める吉原弁財天

吉原弁財天吉原神社を出て約1分ぐらい歩くとあるのが「吉原弁財天本宮」です。ここは神社の飛び地境内になっており、もともと弁財天池があった場所だそうです。

1923年9月に発生した関東大震災の折り、炎の竜巻が遊郭を襲い、大勢の遊女たちがこの池に殺到。亡くなった500人強の遊女の内、490人がこの場所で窒息死したという悲劇の場所です。

おはぐろどぶには緊急時のための跳ね上げ橋はあったといいますが、間に合わずに、大門や裏門に逃げ惑う遊女たちが殺到したために起きた悲劇でした。

吉原弁財天池跡には、吉原観音様をお祀りし、亡くなった遊女たちの魂を慰めています。

境内には東京芸大の学生さんたちによる、ド派手な?壁画がたくさんあり、日本じゃないみたい?な雰囲気でした。

「落ちない」ように「飛距離が伸びるように」と詣でる飛不動尊

弁財天池跡を出て、樋口一葉記念館と遊女たちが埋葬されている浄閑寺へ向かいます。

ビルの間に挟まれ、写真ではよくわかりませんが、途中、鷲神社(おおとりさま)前を通ります。

おおとりさま前を通過

この道をさらに進むと飛不動尊があります。

飛不動尊

飛不動尊は修験道系の天台宗のお寺で寺号は「龍光山三高寺正寶院(りゅうこうざん さんこうじ しょうぼういん)といいます。正山上人によって開かれたそうです。

お寺の縁起がかかれたホームぺージによると、奈良県吉野にある大峯山で修業された正山上人が、この地に泊った際、一筋の光とともに立ち上る龍の夢(お不動様のご加護を象徴する)を見たそうです。

そこで上人は村人たちの無病息災と自身の旅の安全を祈り、お不動様を刻んでこの地に安置したのが始まりだとか。

その後、このお寺の住職様がお不動様を背負い、はるばる大峯山へ修行に出かけました。留守中、村人たちが、お不動様に祈ったところ、一夜にして江戸に飛び帰り、人々の願いをかなえたといいます。

それ以来、「飛不動尊」といわれるようになったそうです。

いまでは、航空関係に携わる人や海外旅行に出かける人(飛行機が落ちないように)、受験生(試験に落ちないように)、飛距離を伸ばしたいゴルファー(よく飛びますように)などを願ってお参りするそうです。

さて、次回最終回は、吉原遊郭とも縁が深かった樋口一葉記念館と遊女たちが埋葬されている浄閑寺へ。裏浅草歩き完結編をお届けします。

▼ 東京・浅草周辺の屋形船

■今回街歩きしたスポット
吉原大神社
住所:東京都台東区千束3丁目20番2号
アクセス:東京メトロ日比谷線「三ノ輪駅」もしくは「入谷駅」徒歩約15分
都営バスで「吉原大門」下車徒歩約5分

鷲神社
住所:東京都台東区千束3丁目18番7号
アクセス:東京メトロ日比谷線「入谷駅」北口3番出口より徒歩約7分

飛不動尊
住所:東京都台東区竜泉3丁目11番11号
アクセス:東京メトロ日比谷線「三ノ輪駅」下車徒歩約8分

 

▼裏浅草街歩きシリーズ関連記事
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