実はJR線の「品川駅」ですが、住所をよく見ると品川区ではなく港区(高輪)!しかも「目黒駅」は品川区(上大崎)。さらに京浜急行電鉄の「北品川駅」は品川駅の南にあるというややこしい状況なんです。
なぜ、このようなことになったのでしょうか?品川特集の4回目はこの謎について追っかけてみました。
「品川駅」はなぜ港区にある?
品川区のホームぺージにある歴史散歩や「品川区の景観特性と課題」を読んでみると、品川周辺に人が住み始めたは縄文時代に遡るといいます。目黒川流域や大井の高台に数多くの貝塚や遺跡が残され、中でも「大森貝塚」は有名ですね。
その後、江戸時代には「品川宿」として栄えます。宿(しゅく)がおかれていたのは、目黒川の河口付近の地域。明治に入って、鉄道が敷設されることになりましたが、地元から反対運動があったようです。
そこで海を埋め立てて線路を引き、本来「品川」と呼ばれていた場所から約1㎞離れた場所(当時は高輪南町)に「品川駅」がつくられることになったというわけです。
明治維新後は江戸から東京になり、廃藩置県が行われ、「品川駅」周辺は芝区になりました。その後、麻布区・赤坂区と合併し、現在は港区になっています。
「目黒駅」はなぜ品川区にある?
目黒区のサイト「歴史を訪ねて 目黒の鉄道1」を読むと、山手線は目黒川沿いを通り、渋谷へ建設予定だったとあります。本来「目黒駅」は目黒区内にあるはずでした。
ところがこちらも、地元の農家から反対活動があったそうです。このため、現在の権之助坂上まで駅が移動し、「目黒駅」なのに品川区になったとか。ただし、資料が残されていないので真相はよくわからないということでした。
毎年行われている「目黒のさんま祭り」ですが、品川区が後援しています。目黒なのに品川??って思っていましたが、これで謎が解けました。
品川駅の南にあるのに「北品川駅」とはこれいかに!?
こちらは東海道「品川宿」の中心地(現在の青物横丁辺り)からみて北に位置していたのが理由です。もともとは「北品川停留場」と名付けられていました。住所でいうと荏原郡品川町大字北品川宿。
「品川駅」が高輪にできてしまったための逆転現象だったんですね。
ちなみに品川宿は現在の新馬場駅周辺で、旧東海道沿いに商店街があり、飲食店やお土産物やさん、史跡が残っていますよ。青物横丁までブラブラと散歩するのもおすすめです。
「品川駅」にまつわる面白い話まとめ
時々、「品川でおすすめの観光地」というような記事をみていると、住所が港区の観光スポットが紹介されています。例えば、品川駅からすぐのところにある「マクセル アクアパーク品川(旧:エプソン品川アクアスタジアム)」です。
こちらの住所は港区高輪。「品川じゃないじゃん!」と思わずツッコミを入れたいところですが、そこは「品川駅」から近いということで(笑)
マンションやアパートなんかだと、どう考えてもそこは成城学園じゃないだろう(調布市で最寄り駅も喜多見だったりする)というところでも、「〇〇マンション成城学園」とかフツーにありますものね。
東京は江戸時代に埋め立てられ、広がった町、というのがよく分かったエピソードでした。皆さんもぜひ、屋形船に乗る前に街歩きを楽しんでみてくださいね。
次回5回目は品川で屋形船に乗る前に楽しめる観光スポット6選をご紹介しちゃいますよ!
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